インハウスエンジニアの部屋

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生きるとはどういうことか〜岡本太郎に学ぶ生きる極意とは〜

 人は「生きる意味ってなんだろうと」とふと考えてしまう生き物である。でも、いくら考えても生きる意味なんてないし、人生とは本来無目的なものなのだと思う。堀江貴文さんも著書「多動力」の中で「人生に目的なんてない。今を楽しむことがすべてなのだ。」と述べている。そのことは動物について考えてみればすぐにわかる。サバンナに生きるライオンは、日々生きていくため必死で狩りをして食いつないでいる。ライオンのオスは、自分の子孫を残すため、プライドを支配しているオスライオン(群れのリーダー)に命懸けで戦いを挑んでいく。ライオンのメスは、外敵から子供たちを守るため、一生懸命頑張っている。このように、野生の動物たちは必死で生きている。自分の生きる意味なんて考えたりはしない。動物にとって生きる意味とは、強いていうならば自分の種を残すことである。

 古代哲学者のアリストテレスは、著書「政治学」の中で「動物たちのうち人間だけがロゴス(理性)を持つ」と述べている。つまり、動物は「本能」に従い生きているが、人間だけがそれにに加え「理性」を持って生きているのである。それゆえ、人間は「自分の生きる意味や目的」を考えてしまう。人間は、本能と理性のバランスの中で生きている。人間社会をより良く生きて行くために本能と理性どちらも必須ではあるが、どちららかが大きくなりすぎるとしばしば問題が発生する。例えば、本能が大きくなり過ぎた場合の悪い事例は「不倫」である。不倫は誰もが悪いことだとわかっていても、自分の種をできるだけたくさん残したいという本能に抗えずに犯す過ちと言える。一方、理性が大きくなりすぎた場合の悪い事例は「自殺」である。動物は自殺なんてしない。人間は理性があるがゆえに、あれこれいろいろと考えてしまいマイナス思考に陥り、自ら命を絶ってしまうのである。その他にも現代社会にはバランスが理性に偏りすぎているために生じている課題がたくさんあると思う。少子化の理由も個人的にはこれが原因だと考えている(詳細はまた別の回で述べる)。自殺までいかないにしても「生きていて楽しくない」、「なんとなく生きている気がしない」というのも本能と理性のバランスが崩れて理性に偏っていることが原因だと思う。

 太陽の塔をデザインした芸術家の岡本太郎は、”芸術は爆発だ”と言った。これは当時、新語・流行語大賞をとった言葉である。岡本にとって芸術とは、自分の感性・生き様をストレートに表現する行為であり、生きることそのものである。爆発とは、自分の内に秘めた炎(ありのままの自分、自分の考え・やりたいこと)をきちんと現実世界で燃やす(表現したり・行動する)ことだと考えられる。岡本はこうも言っている。「安全な道に進むべきか、危険な道に進むべきか」、人生で進むべき道に迷ったら、ぐっと全身に力を込めて「危険な道」を選べ。運命を爆発させよと。現代人は、理性的に物事を考えすぎるため、食うのに困らない安全な道を選んでしまう。危険な道は、失敗するかもしれないし、食うのにも困るかもしれない道であるが、なぜか惹かれる。自分の内なる炎が「安全な道」に進めと言っているのなら、そもそも危険な道とどちらにしようかと迷うはずがない。それなのに迷うのは自分の内なる炎が「危険な道」に進めと言っている証拠である。

 岡本太郎は、「芸術を爆発させる」という信念に従い、生涯を生きたぶっ飛んだ存在である。普通の人は、迷った時、毎回のように芸術を爆発させていたら身が持たないと言う人がほとんどだろう。実際私も会社などで本当はこうだと思っていても、周囲の空気を読んで発言しなかったり、その場に合わせた発言をすることはよくある。現実世界で岡本のように行動するのは大変難しい。ではどうすれば良いか。私の中での答えは、少なくとも人生における重要な局面、就職や結婚など長期に渡り自分の人生に影響を及ぼすような選択は、自分の心に問いかけ、自分の心の声を聞き、世間体など気にせずに、素直に心の声に従い行動することを心がけるということである。自分の心に従って自分で決断したという点が大変重要なのである。そうすれば例えその決断の結果うまくいかなかったとしても、その人は自分の人生に責任を持っているのでまた一からやり直せる。結果はどうであれ自分の内なる炎を燃やすことが大事なのである。日々そのように自分の心の中の炎を燃やして生きていけば、生きがいは必ず生まれてくるし、人生を楽しく生きていけるはずである。

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岡本太郎(出典)ウィキペディア

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太陽の塔